tn3のブログ

野村忠央です

74. 『必殺商売人』(1978年)主題歌小林旭『夢ん中』

 40. 『必殺! III 裏か表か』(1986年)、『必殺4 恨みはらします』(1987年) - tn3のブログの注1でも記したように、必殺シリーズの主題歌は名曲が多いが、小林旭(1938-)が歌う『江戸プロフェッショナル・必殺商売人』の主題歌『夢ん中』は男女の仲を描いた名曲である。私は『新・必殺仕置人』(1977)が必殺シリーズの一番の名作だと思うが、しかし、その続編に当たる『必殺商売人』も名作で、『新仕置人』よりどちらかと言えば雰囲気が明るく、都会的なイメージがする。それは音楽を『夢ん中』の作曲家森田公一(1940-)が担当していることが大きいと思う。たまにはカタカナを使うと、劇中のBGM全体がポップなアップテンポでスタイリッシュな感じがする。作詞阿久悠(1937-2007)、作曲森田公一のコンビによる『夢ん中』を聞くと、森田公一とトップギャランの『青春時代』を思い出すのは私だけであろうか。

 『商売人』では「酒はにがいし 煙草はからい」で始まる2番が歌われているが、後の作品『必殺からくり人 富嶽百景殺し旅』(1978)*1では「指のつめたさ うなじの細さ」で始まる1番が歌われ、初めて観た時にアッと思った。

 それから私が中村吉右衛門(1944-2021)をNHK『武蔵坊弁慶』(1986)、1989年から始まった『鬼平犯科帳』シリーズより前に初めてテレビで見たのは『斬り捨て御免!』(1980、81、82)だった気がする。そのエンディング曲はインストゥルメンタルだったのだが、バックの映像が赤、青、緑の水滴が落ちて弾ける『夢ん中』(『商売人』のエンディング)のバックとよく似ていた。京都映画、松竹でどこか繋がっているのだろう(刀の音も同じだった)。

*1:「からくり人」シリーズの最終シリーズ。私は『必殺仕事人III』(1982-83)より前の作品は再放送で見た世代だが、からくり人の次作『翔べ! 必殺うらごろし』(1978-79)は見たことがない。『必殺うらごろし』の次作が『必殺仕事人』(1979-81)である。視聴率が悪かったはしばしば聞く話だが、何か放送されない理由があるのであろうか。なお、第1作『必殺仕掛人』(1972-73)を見たのも随分後のことだった。

73. 『新・必殺仕置人』(1977年)と岩田直二

 昔の時代劇にはよくあることだが、同じ俳優が違う役で複数回、出演する。『新・必殺仕置人』でもそういう俳優が何人かいるが、多くは悪役である。*1

 しかし、善人役として3回登場する俳優として岩田直二(1914-2006)を挙げたい。岩田は第4話「暴徒無用」で平家の落人の村を守る庄屋の宗兵ヱ役、第24話 「誘拐無用」でお蝶(赤座美代子)の父親の畳奉行田原役、第34話「軍配無用」で行司の日下清風をそれぞれ演じている。岩田はエンドロールでは三人の中の一人で紹介されるような脇役俳優なのだが、これら三話のストーリーは岩田の渋い演技があってこそだと思う。特に、立行司として筋を通して自害する日下清風役は印象深い。*2『コトバンク』を見ると、やはり有名な俳優、演出家なのであろう、以下のように記されている。

昭和32年関西芸術座創立時のメンバーで、演出も担当、代表を務めた。俳優としては舞台の他に映画「陽暉楼」「写楽」、テレビ「音・静かな海に眠れ」などに出演。関西の新劇の中心的存在だった。著書に「楽屋鼎談」など。

 自分が岩田を最後に見たのははっきりしないが、『鬼平犯科帳』第6シリーズ第3話「泥亀」(1995)であろうか。引退して、病に臥せっており、子分に裏切られる盗賊の頭牛尾の太兵衛役である。わずかの場面しか登場しないが、ゲストの泥亀の七蔵(名古屋章)、関沢の乙吉(森次晃嗣)、どちらにも筋を通したお頭として思われている役どころである。

*1:いつか最終回の「解散無用」のことも記したいが、同心師岡役の清水綋治(1944-)も『新・必殺仕置人』に3回出演している。

*2:必殺シリーズで悪役を演ずることが多い大前均(1935-2011)が本作では日下が軍配を上げる関脇綱錦役を演じている。

72. 豊臣秀長の初名が長秀であったこと、偏諱(へんき)

 今年の大河ドラマ『豊臣兄弟』で豊臣秀長(中野太賀)の初名が木下小一郎長秀であることを初めて知った。*1だとすれば、考えられる可能性の一つは織田信長の偏諱(へんき)である。以前記したが、その家で代々使われる文字を「通字」と呼ぶ。織田氏の「信」、豊臣氏の「秀」、徳川氏の「家」などがその代表選手である。それに対し、天皇や将軍など偉い人物から諱(いみな)の一字をもらうことを「偏諱(へんき)」と呼ぶ。

 その場合、「偉い人の名前の一字が上に来る」ことが通例である。*2例えば、徳川御三家初期の当主を例に挙げると以下のようなものがある。

三代将軍家→尾張友、紀伊貞、水戸

四代将軍家→尾張誠、紀伊教、水戸

五代将軍綱→尾張通、紀伊宗、*3水戸

 秀吉の弟長秀は本能寺の変後、羽柴長と変名したと考えられるが、

 豊臣秀長 - Wikipedia

ここで重要なことは、秀吉の「秀」の字を上にすることによって、羽柴(豊臣)氏が信長の織田氏よりも格上となった、つまり天下人となったことを示せることである。*4

*1:戦国時代も含め、名前が何度も変わることは決して珍しいことではない。例えば、家康は「竹千代→松平次郎三郎元信→松平蔵人元康→松平蔵人家康→徳川三河守家康」と名前を変えている。本回の内容とも関係するが、家康が「元」の字を捨てたことは今川義、今川氏(今川氏真)の支配下から抜ける決意の表れだと考えられる。

*2:もちろん、例外もある。足利高氏は後醍醐天皇の諱治(たかはる)から一字を賜り、氏である。足利将軍家の通字は「義」であるが、鎌倉時代に執権北条氏の勢力が強かった時の通字は「氏」であった。足利氏が天下を取って先祖八幡太郎源家以来の源氏本来の通字(足利氏の始祖は義家の三男足利国、その子が足利康と新田重)である「義」に戻したと考えられる。

*3:言うまでもなく、後の八代将軍吉宗である。ここからも、徳川将軍家で「家」が付かない人は長男や嫡子ではなく養子であることがわかる。例えば、二代将軍忠(豊臣秀からの偏諱)、五代将軍綱(兄四代代将軍家の偏諱)、十五代将軍喜(十二代代将軍家の偏諱)がそうである。また、甲府宰相豊、紀伊宰相福はそれぞれ宗家を継ぐにあたって、六代将軍宣、十四代将軍茂と改名している。

*4:信長の後継者争いをめぐって羽柴秀吉と柴田勝家が争う清洲会議において必ず登場する織田信忠の嫡男三法師も、青年後の諱が織田信であることが重要である。また、家康の上から三人の男子も康、康、忠であることから、その時代は信長、秀吉が家康の実質上の主君であったことがわかる。

71. 豊臣秀次と豊臣家の不幸

 『豊臣兄弟!』第16回「覚悟の比叡山」(4月26日)では浅井家家臣宮部継潤*1(ドンペイ)を調略するため、木下藤吉郎(池松壮亮)が自分には子供がいないので、姉のとも(後の瑞龍院日秀)(宮澤エマ)の子万丸(よろずまる)を人質に差し出そうとする。しかし、それを激怒して認めようとしないともを主人公木下小一郎(仲野太賀)が説得を試みる。最後は、継潤が織田方につき、その後、人質となった万丸も一度も泣かずに立派に暮らしていることが継潤からともたちに伝えられるという話である。

 この後、万丸は継潤の養子となって宮部吉継となる。そして、歴史好きの人はみんな知っていることだが、その後、さらに三好一族の三好康長の養子となり三好孫七郎信吉となる。そしてまた、秀吉の跡継ぎになるはずであった鶴松の夭逝後、秀吉の養子となり、羽柴(豊臣)秀次となる。

 そして、秀吉の正式の跡継ぎとなり、関白となるが、秀吉にお拾(後の秀頼)が生まれてしまったことから、高野山に蟄居に追い込まれ、切腹となることは周知のことである。*2豊臣秀吉家に翻弄された一生だったと思われる。*3秀吉と、信長、家康の大きな違いの一つは、秀吉にも「賤ヶ岳の七本槍」のような子飼いの家来がいたけれども、しかし、譜代の家臣がいなかったことである。本連載で秀吉の一番の不幸はねね(北政所)との間に子供ができなかったことだと記したと思うが、秀吉はだからこそ、豊臣政権を維持させるために数少ない親族を大切にすべきであった。

 秀次は「殺生関白」などと呼ばれ、きっと許されざる振る舞いがあったのであろうが、不世出の英雄秀吉の後継ぎとしての重圧がいかばかりであったかは容易に想像されることである。*4秀長と秀次が長生きしていれば、豊臣政権あるいは豊臣家はきっと違う展開があったに違いない。

*1:大河ドラマで宮部継潤が描かれたのは初めてのことはないかと思ったが、Wikipediaによると、自分は世代的に(見たかったと思うが)見ていない『国盗り物語』(1973)で小松方正(1926-2003)が演じているとのことである。中国攻めでも重要な働きをする人物である。

*2:どんな英雄、立派な人物であっても、自分の後継ぎ問題が絡んでくると、人は狂気となるのだということを歴史は教えてくれる。シェイクスピアの『リア王』も黒澤明の『乱』もそれを描いている。

*3:秀吉に翻弄された同様の親族は秀吉の妹朝日姫である。大河ドラマ『おんな太閤記』(1981)では泉ピン子(1947-)があさひを、せんだみつお(1947-)がその夫副田甚兵衛を演じ、その悲哀を好演していた。

*4:大河ドラマ『真田丸』(2016)で追い詰められている心優しい秀次(新納慎也)を重圧から解放してやって欲しいとねね(鈴木京香)が秀吉(小日向文世)に頼む場面が描かれるがそんな気持ちである。なお、ユーモラスの中に狂気が含まれる小日向文世(1954-)の秀吉は意外に合っていたと思う。
 全くの余談だが、小日向文世は日本テレビ『ぶらり途中下車の旅』の3代目ナレーターである。いつぞや、太川陽介(1959-)が旅人の「祝25周年!秋の北海道2時間SP」(2017)が放映されたのだが、小日向は北海道三笠市の出身である。ナレーターは撮影後に当然、スタジオでアテレコしているとこっちは思っているが、番組内で、三笠トロッコ鉄道に乗っている太川を向かいに座っている小日向がハンディカメラで録画してナレーションをしていて、びっくりした。

70. 祖母とお市の方の小豆の袋の逸話

 先月下旬のある朝に、母方の祖母が亡くなる夢を見た。夢は祖母宅2階の大広間で両親や伯母など親族がおり、亡くなった後、一人一言、祖母の思い出を話していた。*1夢の中で、ぼくは自分の歴史好きは祖母と父に影響されている、子供は8人、孫は21人いて、子供は母を含め、幸せだが、残された伯母はどうなるのかと思いますなどとしゃべっていた。春のお彼岸の日だっただからなのか、何か気を付けなさいというサインなのか、不思議なことであった。

 さておき、今日の『豊臣兄弟!』第14回「絶体絶命!」はいわゆる「金ヶ崎の退き口」を45分間全部で描いていた。秀吉(池松壮亮)が自分の足の甲を刺して信長(小栗旬)に撤退を決めさせることはフィクションに決まっているが、ちょっと感動させられてしまった。「金ヶ崎の退き口」で描かれる秀吉と家康は大抵、殿(しんがり)をお互い申し出る友情が描かれることが多いのだが、今回の家康(松下洸平)は悪い家康像として描かれている。

 祖母の話に戻ると、祖母の部屋には電子オルガンや、ハードカバー時代の、表紙に三つ葉葵が描かれた山岡荘八『徳川家康』全26巻など、数多くの書籍があった。小さい頃、いろんな話を聞いたが、浅井長政*2が織田信長を裏切った時、妹のお市の方が信長に両端を縛った小豆の袋を送ったという逸話を聞いたことが心に残っている。信長が浅井長政と朝倉義景に挟み撃ちになることを知らせたとされる「小豆の袋」の話である。

 これは『朝倉家記』にあるとされるが、後世の創作とも疑われ、確かに自分が信長なら、小豆の袋が自分が袋の鼠になっていることを暗示していることなど気付くであろうかと思う。

*1:実際の祖母は私が大学3年の時に病院で亡くなっているのだが、実際に祖母宅は3階建ての元店舗で2階に大広間があった。

*2:私が小さい頃はみんな「あさいながまさ」と呼んでいたと思う。しかし、今のドラマは時代考証の進展か、ほぼ「あざいながまさ」と呼ぶ。しかし、日本語で清音か濁音かは両方あり得る話である。

69. 映画シリーズの中村主水(藤田まこと)はモテる

 必殺仕事人の映画シリーズは6作あるが、*1映画内の中村主水はいつもモテているという話である。主人公俳優藤田まこと(1933-2010)へのサービスであろうか。

 第1作『必殺! THE HISSATSU』(1984)と第2作『必殺! ブラウン館の怪物たち』(1985)では謎のお葉(中井貴恵)が六文銭の仕事人庄兵衛(石堂淑朗)*2一味に引き入れようと画策する。『必殺! III 裏か表か』(1986)では江戸両替商組合肝煎真砂屋徳次(伊武雅刀)が自分たちに楯突く主水を陥れるために、おゆみ(野坂クミ)を近付け主水と懇ろの仲にさせる。しかし、彼女は飛び降り自殺に見せかけるために、五重塔から押されて殺されてしまう。

 第4作『必殺4 恨みはらします』(1987)ではおけら長屋で飲み屋をやっているおふく(倍賞美津子)といい仲になりかける。だが、行方不明の夫が帰ってくることがわかって浮気は実現しないのだが、奥田右京亮(真田広之)手下の殺し屋九蔵(蟹江敬三)によって殺されてしまう。第5作『必殺! 5 黄金の血』(1991)では主水が元締おむら(名取裕子)と懇ろになりたい設定である。第6作の最終作『必殺! 主水死す』(1996)では仕事人のおけい(東ちづる)が主水の愛人の設定でストーリにか関わってくる。そして、前作でも登場した名取裕子(1957-)がお夢(お千代)を演じ、権の四郎(清吉)(津川雅彦)と主水が昔、恋敵だった設定となってる。権の四郎は息子の清太(野村祐人)*3が主水とお千代の子供だと疑っているが、終盤でお千代自身の口から四郎の子供であることがはっきりする。しかし、清太は四郎によって殺されてしまう。*4

 しかし、いつもコメディータッチで描かれるせん(菅井きん)とりつ(白木万理)だが、*5主水が愛しているのはやはり妻のりつであることが描かれたのも映画シリーズかもしれない。第1、2作のお葉には「本当に愛しているのは奥様なんでしょ」と言われる。また、第3作では上記の通り、主水は真砂屋に陥れられて、社会的に抹殺されてしまいそうになる。姑のせんは娘のりつに「やはり離縁か?」と尋ねるが、こういう時こそ主水を支えてあげたい、いつも通りあの人を明るく迎えてあげましょうと答える。

*1:映画シリーズについては、

40. 『必殺! III 裏か表か』(1986年)、『必殺4 恨みはらします』(1987年) - tn3のブログ

も参照のこと。

*2:石堂淑朗(1932-2011)は『必殺仕掛人』や『子連れ狼』、ウルトラマンシーズなどの脚本を書いていた脚本家としての方が著名だと思う。

*3:野村祐人(1972-)は15歳の時、NHKの『絆』(1987)というドラマ(ドラマスペシャル 絆(きずな)|番組|NHKアーカイブス)で主人公の帰国子女役を好演している。帰国子女が今ほど一般化していなかった時代、日本の教育の画一性、閉鎖性などを描いた作品である。伝統的な日本人像の祖父役を若山富三郎(1929-92)が演じている。

*4:中村主水ファンには主水のあの最期の描き方、脚本には率直に納得が行かない。なお、テレビスペシャルの『必殺仕事人2007』(主役:東山紀之)で普通に戻ってきたことは周知のことである。

*5:但し、せんとりつが初めて登場した『必殺仕置人』(1973)の時はそれなりに格式が高い武家の女性として描かれている。

68. 『水戸黄門』第1部第19話「どっこい生きてた湊川」(1969年)

 水戸黄門漫遊記の大事なエピソードの一つとして、光圀が揮毫した「嗚呼忠臣楠子之墓」(ああちゅうしんなんしのはか)の碑の建立がある。史実に基づいたフィクションであり、史実では水戸光圀は佐々宗淳(さっさそうじゅん、佐々木助三郎のモデル)を遣わして、湊川神社に楠木正成の墓碑を建立せしめた。

 史蹟【楠木正成公殉節地と御墓所】|神戸の名社・湊川神社 | 関西 神戸の地に鎮座する名社「湊川神社」|七五三・厄除け

 さておき、物語冒頭、助さん(杉良太郎)と格さん(横内正)が石工の弟子甚八(佐藤蛾次郎)に漬物石を探す手伝いをさせられているうちに、草叢で偶然、埋もれていた楠木正成の墓を見付けてしまう。光圀(東野英治郎)はここはどこかと尋ね、正成の最後の戦いの地、摂津国湊川であることに気付く。

 光圀は石碑を建て直そうと石工吉五郎(大辻伺郎)に依頼するが、吉五郎は博打で身を崩し、やくざの親分五郎蔵(吉田義夫)に弱みを握られている。しかし、黄門一行が下手な石工となり、黙って見ていられなくなった吉五郎をうまく改心させ、やくざたちを懲らしめ、石碑を無事、完成させるという話である。お馴染みの印籠の場面はない。

 寅さんシリーズでお馴染みの佐藤蛾次郎(1944-2022)、吉田義夫(1911-86)*1も本話のゲストだが、映画『水戸黄門』ファンなら誰でも気付く重要なゲストが二人登場する。一人は酒に溺れた石工吉五郎を信じて支える女房お袖役の桜町弘子(1937-)である。往年の時代劇ファンには丘さとみ(1935-2024)、大川恵子(1936-)*2と共に東映三人娘として著名であろう。もう一人は石工吉五郎の親方で、女房お袖の父親喜平役の月形龍之介(1902-70)である。喜平は吉五郎を助け、弟子を引き連れ、石碑を完成させる。最後の場面で水戸老公(東野英治郎)が石碑を完成してくれた石工の親方喜平に頭を下げるが、新旧水戸黄門共演の演出であろう。*3

 光圀の『大日本史』の大きな功績(主張)はいくつかあるが、一つは壬申の乱で敗れた大友皇子を弘文天皇として帝紀に列したこと、もう一つは南北朝正閏論について南朝を正統としたことである。*4光圀の南朝正統論からすれば楠木正成は疑いなく忠臣である。

*1:寅さん馴染みの旅回り一座の座長役。

*2:大川恵子は『東映オールスター映画 水戸黄門』(1960)で水戸中将綱條(大川橋蔵)の正室継の方を演じている。綱條は偉大な父光圀の後を継いで副将軍の責務を果たしていないことを悩み苦しんでいるが、将軍綱吉(伏見扇太郎)に諫言することを心に決める。(綱吉と土屋相模守政直(香川良介)に「折角の中将殿のお申し出なれど」と流されそうになるが、叔父(実際には光圀の従兄弟)紀伊大納言光貞(市川右太衛門)の助けによって、禁裏御料の増加などの朝廷融和政策、浪人政策の緩和などが取り入れられることとなる。)
 登城前、継の方は綱條の切腹の覚悟を知るが、それを察した綱條は継の方に別れの場面で「はすのうてなで」と言い残す。子供心に(もし自分が将軍家への諫言の結果、切腹することになったら)「天国で再会しよう」のような意味であろうと思ったが、大人になって「蓮の台」(はすのうてな)が「仏教で、仏菩薩がすわっている蓮華の台座。また、極楽浄土に往生した者がすわるという蓮華(れんげ)の座。蓮台(れんだい)。はちすのうてな」(精選版日本国語大辞典)という意味だと知った。この場面と綱條の諫言の場面を踏まえて、51. 大友柳太朗と『水戸黄門』(1960年) - tn3のブログで記した井戸甚左衛門(大友柳太朗)の最後の場面に繋がる。

*3:月形は実は映画だけではなく、テレビ版でもTBSでナショナル劇場の東野版(1969)より先んじて、ブラザー劇場で『水戸黄門』(1964-65)を演じていた。

*4:もう一つ記せば、夫仲哀天皇の崩御後、三韓征伐を行ったとされる神功皇后を皇后伝に列したことが挙げられる。